米最高裁が女性の中絶権を認めて合憲としてきましたが、49年ぶりに州による「中絶の権利を憲法は与えていない」という判決を下したことで、アメリカ国内で激しい論争を引き起こすとみられています。
妊娠15週以降の中絶を禁止するミシシッピ州法に対して「ロー対ウェイド判決」などと照らし合わせて違憲だとするクリニックの訴えに6対3で最高裁の判事9人は違憲ではないと判断しました。
さて、違憲だとするクリニックの訴えで参考とされている「ロー対ウェイド判決」とはどういったものなのか?私なりに調べてみました。
「ロー対ウェイド判決」についてウィキペディア調べてみました。1973年にアメリカ合衆国最高裁判所はロー対ウェイド事件で「妊娠を継続するかどうかは女性のプライバシー権に含む」としてアメリカ合衆国憲法修正第14条で女性が胎児の権利を保障していることから人工妊娠中絶を規制するアメリカ国内法を違憲無効とした判決と書かれています。
では、ロー対ウェイド事件とは何だろう?とさらに調べていくと、今では考えられない内容で驚きました。ノーマ・マコビーさんは当時、未婚で3人目の子どもを妊娠中でした。しかし、ノーマ・マコビーさんはレイプされたことを主張し中絶を望んでいました。
中絶医を探していたところ、若い女性弁護士2人に裁判の原告になるよう頼まれて引き受けたことが訴訟のきっかけになりました。そこで中絶手術をして逮捕された医師とノーマ・マコビーさんが原告となって「母体の生命の保護に必要な場合を除き、妊娠中絶手術を禁止する」テキサス州法に対して違憲であると1970年にテキサス地方検事ヘンリー・ウエイドさんを訴えました。
この裁判では警察にレイプの報告がなかったがためにノーマ・マコビーさんの主張は退かなければならなかったこともありましたが、結果的には1973年1月22日にアメリカ合衆国最高裁は妊娠中絶を原則中止するテキサス州の中絶法を違憲とする判決をしました。
1970年ノーマ・マコビーさんは妊娠中絶の権利を求める訴訟の原告となった際、ジェーン・ローという仮名で訴訟を起こしています。そこでジェーン・ローさんの「ロー」と訴えられた地方検事ヘンリー・ウエイドさんの「ウエイド」をとって「ロー対ウェイド判決」と言われるようになったと思われます。
ノーマ・マコビーさんは訴訟を起こした1970年当時はアルコール中毒や虐待、望まない妊娠などあらゆる問題を抱えていたそうです。また、ノーマ・マコビーさんは1970年に中絶はしなかったものの、出産したこどもは養子に出されたようで育てられませんでした。
ノーマ・マコビーさんはテキサス州の貧しい家庭に育ち、家出や放浪、教護院生活などつらい経験をしています。結婚してからも夫からの暴力で離婚をし、産んだ二人の子どもも養子に出されてしまうなど過酷な人生を歩んでいます。
つらい経験をしたノーマ・マコビーさんだからこそ、女性の権利のために立ち上がったのかもしれません。1973年の判決が下る3年もの間、ノーマ・マコビーさんは女性の性や生殖に対する権利のために戦い続けたと言われています。
中絶するしないは子どもの命を守るという視点も大切ですが、子育てをしてその子の人生を背負う女性の権利でもあるので難しい問題ですね。子どもができてからの問題を防ぐためには、性犯罪も含め子どもができる過程の性教育の問題(日本では性教育が遅れていること)を今一度見直していく必要があるのではないでしょうか。
アメリカで起こっている問題ではありますがいずれは日本でも同じような問題が起こりかねないので、女性だけでなく男性も含めて一人ひとりが真剣に考えていく問題のように私は感じています。
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