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富樫勇樹の生い立ちが天才すぎる!愛称やファンクラブにも注目!

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日本バスケットボール代表の富樫勇樹選手。小さな身体でもパワフルな動きと技術の高さで注目を集めていますが富樫勇樹選手は幼いころはどんな子どもだったのでしょうか?生い立ちを調べてびっくり!

調べていくうちに愛称やファンクラブも発見!また、富樫勇樹選手のエピソードが面白く意外な一面に驚いたので一緒に紹介していきますね♪

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富樫勇樹の生い立ちからのエピソードが天才すぎた!

富樫勇樹選手のプロフィールを中心に生い立ちをまとめてみました。

  • 1993年、7月30日、新潟県新発田市生まれ(2023年現在30歳)
  • 家族構成は父、母、姉(3つ上)、自分、妹(3つ下)
  • 小学校1年生でバスケットボールを始めた
  • 新発田市立本丸中学校で監督が父親のときに中学3年生で全国大会優勝
  • 中学生のときに15歳以下、16歳以下のバスケットボール日本代表に選抜された
  • 中学卒業後、父親との交流があった日本バスケットボール指導者の中村和雄さんの勧めによりアメリカへ留学
  • NBAの選手であるケビン・デュラント、グレイビス・バスケスの母校モントローズ・クリスチャン高校に進学
  • 高校1年生のころからシックスマン(試合でベンチスタートのサブメンバーで特に活躍できる選手)になり、2010年同校の全米ランキング2位になった
  • 大学進学を目指しNCAA1部の大学から勧誘されたが学費全額免除の条件ではなかったことで進学をやめた
  • 高校卒業後はBJリーグ秋田ノーザンハピネッツに入団しプロ選手になった
  • プロ1年目でBJリーグ新人賞を受賞
  • 2011年に日本代表に選出された
  • 2012年NBA主催イベントbasketball Without BordersでMVPを獲得した
  • 2013年~2014年のシーズンを終えNBAに挑戦した。NBA史上4人目のサマーリーグのロースター入りした
  • 2014年~2015年はテキサス・レジェンズと契約
  • 2015年~2016年はイタリア・セリエAのディナモ・バスケット・サッサリと契約。その後NBL千葉ジェッツと契約。
  • 2017年第92回天皇杯で初優勝に貢献しベスト5に選ばれる
  • 2019年Bリーグで日本人初の1億円プレーヤーになった
  • 2020年~2021年アミューズ(大手芸能事務所)とマネージメント契約した

ざっと生い立ちをみただけでも普通の人ではなかなかあり得ないことを経験していたり、はたしていますよね。

幼少期の富樫勇樹選手は中学校のバスケットボール部の監督を務めるお父さんが自宅でビデオを見て試合を研究しているときは富樫勇樹選手もなにげなく画面をみていたとのこと。驚きなのはマンガをみないでNBAばっかりみていたそうなんです。

お父さんがバスケ関係者を家にまねいたり、試合会場で試合のコーチ仲間と談笑していると富樫勇樹選手は母けいこさんと同行し大人の会話を自然と耳にする機会が多かったそうです。幼いころから自然とバスケットボールに関わることが多かったのも運命だったのではないでしょうか。

母のけいこさんも大学ではバスケをしていたそうで家族でバスケにかこまれた幼少期だったこともあり、幼少期からバスケットボールにふれていた富樫勇樹選手。富樫勇樹選手が天才的なのは2歳からおもちゃのリングに向かってシュートをうっていました。

そのシュートがすでにワンハンドフォームだったことにお父さんも驚いていました。しかもシュートが入ってたそうです。2歳でワンハンドフォームを習得しちゃっているところから天才としか言いようがないですね。

さらに大きなボールを家でつくとうるさいからと母けいこさんが小さいソフトボールにかえてもうまかったそうなんです。お父さんはボールを大きいものから小さいものに変えたことについても「家が傷つくのがいやだから」と話していました。

小学校1年生の時にはミニバスに入るもシャイな性格で試合を尻込みすることもあった富樫勇樹選手ですがすぐに「うまい」と言われ始め、小学4年生の時には『別格』と言われるほどの逸材になりました。

そんな富樫勇樹選手について「体格差のある6年生と競り合ってもボールをとられたことがない」とお父さんも言っていたそうです。さらに小学4年生の時には今でも最大の武器であるフローターシュートを身に着けています。

きっかけは当時小学4年生のときの富樫勇樹選手の試合を見に来てくれたお父さんの一言でした。「ドリブルできりぬけられるのだから、あとはシュートが必要だ。ふわっと浮かせて打ってみたらどうだ。」とアドバイスをしたそうです。

バスケットボールの監督であるお父さんのアドバイスも的確ですね!その時のことを富樫勇樹選手はこんなふうに語っています。

「フローターシュートという名前すら知らなかったころでしたが、父は小さな僕に大きい選手の上でちょっと浮かせてループをかける技を教えてくれたんです。なるほど!と思いましたね」と学生時代のエピソードもしっかり覚えているようです。

富樫勇樹選手は小学校を卒業し中学へ進学するときにはお父さんがコーチをしている「本丸中学へ行きたい」「ミニバスの仲間と日本一を目指したい」と思っていました。富樫勇樹選手はシャイでその気持ちをお父さんに伝えられなかったそう。

そこで、いつも富樫勇樹選手の気持ちを聞いてくれたお母さんが気を利かせてお酒を飲んで寝落ちして起きがけお父さんにかけあってくれたそうです。それでもお父さんからは「勉強と掃除をすること」という条件を出されました。

教員であるお父さんの考えは『中学生として当たり前のほんぶんを全うするという教員としての願いであり、生活がしっかりしている選手は目標にしっかり取り組む』というコーチのモットーでもありました。

お父さんの条件付きでも富樫勇樹選手はどうしてもお父さんの元でバスケットボールをして日本一になりたかったのかもしれませんね。

お父さんはインタビューで中学校で活躍している富樫勇樹選手について「ゲーム中、人としてみているところが違うので驚くような展開が生まれる。感性は教えて身につくものではありません。勇樹にはこれといって何かを教えたことがないんですよ」と話しています。

また「指導者目線でしか見なかった。他のことは何でもできたけど小学校1年生の時は靴紐だけ結べなかった。ずっと(小学校1年から)試合を見れる子だった。やっぱおかしかったんだよね~。それは本丸(中学校)時代の校長が「すごいな」って言ってた。「何がすごいの?」って聞くとずーと試合見てるって。

子どもは見れないよ。おしめつけてるころからボールいじってたね。教えてないのに。与えてないのに。」と語るお父さん。バスケットボールの監督としてたくさんの選手をみてきたお父さんからも富樫勇樹選手はバスケットボール選手として一目置かれていたようですね。

そして中学卒業のときに富樫勇樹選手は親交のあった中村先生からアメリカ留学を勧められますが冗談と思っていたそう。中学生でアメリカ留学はなかなか勇気のいる選択ですよね。

TOEFL 8点という成績で英語が話せず、アメリカ留学をしたので英語の授業は最後までわからず、最初の年はYES、NOだけで乗り切ったという過去も。それでもアメリカではポジティブになれたといいます。

日本に帰国しプロ選手となり、BJリーグ秋田ノーザンハピネッツ時代に中村監督からは「チビが点数とらなきゃいるいみがないだろ!」と叱咤激励された富樫勇樹選手。のちに「背が低い自分の仕事は何なのかと真に己をみつめることになりました。

シュートを打って得点を重ねることでチームに絶対必要な選手になるという気持ちが固まった。ですから、どんな瞬間もシュート狙いに行くというメンタリティは秋田の頃に完成したとも言えますね」とインタビューで富樫勇樹選手は話しています。

自身のバスケ人生については「一つひとつの選択が常に良い選択だったと言える自信があるんですよ。アメリカの高校への進学もアメリカの大学には行かず日本に帰ってきたことも最良の選択だったと思います。

アメリカの高校時代のチームメイトと話すときもあの時ユウキはアメリカに進学せず日本に帰ってきて正解だったよと言われます。アメリカで大学に行ったとしても特に強い大学に行けば行くほど出場機会も少なくなり選手としての経験が希薄になるんですね。

日本に戻ってきて秋田に入り日々ゲームに出場できたことがバスケットボール選手としてのキャリアの礎になっていますからね。」と語る富樫勇樹選手は後悔はなさそうですね。

また、富樫勇樹選手のお父さんは親バカではないかと周りからは言われたこともあったようですが、富樫勇樹選手について「怒ったこと何回もあります。手を抜くから(笑)手を抜くの天下一品ですから。」とも語っていました。

お父さんの「手を抜くのは天下一品」発言には笑えます!(笑)手を抜いているようには見えないですがもしかしたら加減が上手なのかもしれませんね。ゆるーくバスケをするくらいのスタンスの方が楽しむことにつながっていそうです。

「家で怒ることもあるんですか?」の質問に「中学校3年間、家では会話してない。」と答えたお父さん。「俺と隣なのに背を向けて飯食ってた。これ有名な話!あんだけシャイで喋らなかった子がアメリカ行って日本語をいっぱいしゃべるようになった。アメリカに行って日本語を覚えたな。(笑)」とお父さんは暴露していました。

思春期真っ只中ということもあったのかもしれませんが富樫勇樹選手がお父さんと会話のない時代があったことにも驚きです!さらに「留学した時、最初1年目しんどかったと思うよ。あの身長で英語わからないでしょ。でも1回も泣き言いったことがない。」と語るお父さん。

1回も泣き言を言ったことがないという富樫勇樹選手は当時はまだ16~18歳。ホームシックにかかってもおかしくない年頃なのにすごいとしか言いようがないですね。

なぜ息子が活躍できてるのか?については「バスケが好き」「練習よりも試合を楽しんでる」と言っていました。そばでずーっと富樫勇樹選手をみてきたからこそ感じる苦悩やお父さんとしてまたは指導者目線での発言だと思います。

お父さんもいろんな想いで富樫勇樹選手を見守ってきたのではないかと思うと子どもへの愛を感じます。小さいころからバスケに関しては恵まれた環境で育った富樫勇樹選手。アメリカ留学という大きな選択でもまれながらも、くじけることなく背が低いという自分らしさを武器にかえて活躍できているところからは考え方次第で人生は幸にも不幸にもなると実感させられます。

富樫勇樹選手のファンクラブは?愛称は?

富樫勇樹選手は2020年から大手芸能事務所アミューズと契約しています。芸能事務所ということでアミューズHPをのぞいてみると紹介欄があり、ファンクラブもありました。まさか芸能事務所と契約していたとはびっくりです。

下記のファンサービスサイトでは登録するといろんな特典が!

月額730円(税込み)でファンクラブ内でしか見れない動画や写真、バスケットボールのスキルに関するVIDEOやブログを見れます。さらに対談やインタビューから富樫勇樹選手の日々の様子やオフショットPHOTOコンテンツなどプライベートも垣間見れそうですね。

富樫勇樹選手プロデュースのグッズや直接のコミュニケーションまでファンからのリクエスト企画までなかなかレアな特典もありそうです。ファンには嬉しい内容ですね!

富樫勇樹選手の愛称についても紹介しますね。高校時代のチームメイトにはユーク(YUK)と呼ばれていました。2014ねんのNBAサマーリーグではトガ(TOGA)とニックネームがついています。ちなみに八村塁選手からはインスタライブで「富樫くん!」と呼ばれていました。

富樫勇樹選手は八村塁選手より年上なので君付けには意外ですね。また、YouTube動画ではチームメイトから「ゆうき」と呼ばれたり、年下の選手からは「富樫さん」と言われていました。

また、なくてはならないもので必要なものは髪のセットに必要なジェルと「くし」と言っていた富樫勇樹選手。「プロになって最初からこの髪型でやってきているのでスイッチを入れるためのものでもあるかなと思っています。今となっては変えづらい」と言っていました。

トレードマークの個性的な髪型はファンの間ではおなじみのヘアスタイルなので髪型を変えられると少しさみしいと感じるファンもいるのではないでしょうか。また、ダーツをしているそうで富樫勇樹選手は「ダーツはバスケで言うフリースロー。友達ともリラックスできるひとつの趣味だ」と言っていました。

ナイキのサンダルは365日年中はいているそうです。「一番リラックスできる。普段できるだけ靴下もはかない、ひもで縛らない圧迫されたくないというのもあって。」とナイキのサンダルにはこだわりがありそうですね。

また、アイスはPinoが好きで家の冷蔵庫からなくなることがないそうです。「日によっては一日3箱くらいの時もあれば、ちょっと間隔あくときもあるかなと思います。」と語る富樫勇樹選手からはハマったらずっと同じものを選択しつづける一面も感じられます。

さらに「なくてはならないひとつのアイテム」として菅澤紀行選手を紹介しています。菅澤紀行選手は年上でも一切敬語も使わず、電話をすると99%でるそうです。菅澤紀行選手のことを語る富樫勇樹選手はずっーと笑顔が止まらない様子。

菅澤紀行選手のことを好きすぎて仕方のない様子がインタビュー中もあふれていました。菅澤紀行選手は年齢差を感じさせないほど富樫勇樹選手と気が合う相手なのかもしれませんね。

まとめ

今回は富樫勇樹選手の生い立ちやファンクラブ、愛称を紹介してみました。

  • 父はバスケットボールの指導者、母はバスケットボール経験者で幼いころからバスケっとボールに親しむ環境で育った
  • 2歳で自然とワンハンドフォームを習得していて父を驚かせていた
  • 2020年から大手芸能事務所と契約しているのでファンクラブもある
  • 愛称は「ユーク」「トガ」「ゆうき」「富樫くん」「富樫さん」

座右の銘は「適当」と語る富樫勇樹選手。お父さんから「手を抜くのは天下一品」と言われるのも納得です(笑)。また「苦手な食べ物はなす、ピーマン、大根、ニンジン、ミョウガ、しょうが、大葉、いろんなのあります。」と語っていたので食にもこだわりがありそうですね。

好きな女性のタイプは「ポジティブな人がいいです。携帯のメールの既読にしてないやつが1万件くらいある人はあんまり好きじゃないです」と答え、女の子に作ってもらいたい手料理は?という質問には「おいしいお味噌汁。」と答える富樫勇樹選手。

お味噌汁という答えからは家庭的な女性が好きなのかなと感じます。「今の自分に足りないことは?」という質問には一日24時間じゃ足りないそうで「TVとか大好きなんですけどあんなんみてたら24時間じゃたりない」と言っていました。

小さいころからTV画面を通してバスケットボールの試合をみてきたので、大人になった今でもTVを見ることは楽しみでしかないのかもしれませんね。芸能事務所に入っているので今後はTVを見る側だけでなく、TVの中でも活躍場を広げていくのかもしれません。

バスケットボール選手としての魅力だけでなく、富樫勇樹選手の自身の魅力がTVでも見れると思うと楽しみです♪

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